2023年


ーーー7/4−−−  ホーロー浴槽の修理


 
数年前から、ホーローの浴槽の一部にヒビが入り、筋模様を見せるようになった。その欠陥が次第に進行し、ホーローが剥げ落ちて、下地の鋼板が赤く錆びているのが見えるようになった。

 このまま錆が進めば、鋼板に穴が開いてしまうかも知れない。そうしたらこの浴槽は使えなくなる。おそらく交換となるだろうが、その工事費用は二桁万円に及ぶだろう。一大事である。今のうちに何とかしなければ、と考えた。

 ネットで調べたら、ホーロー浴槽の修理の仕方が載っていた。補修剤が市販されており、それを使えばさほどの難しさもなく出来ることが分かった。ホーローの補修剤はいろいろな種類があるが、浴槽専用のものもある。浴槽メーカーが販売しているもので、補修剤の色を浴槽と合わせることが出来る。

 届いた補修材は、チューブ入りの二液混合タイプのもので、エポキシ接着剤を思わせるものであった。二液を混合する際に、ヘヤードライヤーで温めるとか、補修面を同じく温めてやれば馴染みが良くなるとか、木工でエポキシ接着剤を使う際と同じような説明が書いてあった。

 作業の手順は、まず補修面の錆をサンドペーパーで落とす。しかし実際は、ほとんど落ちない。ワイヤーブラシでも擦ってみたが、気休め程度。それが済んだらいったん水で汚れを洗い落とし、ドライヤーでよく乾かす。それから、補修剤を塗布して盛り上げる。その上から透明な粘着テープを貼って平面を出すと同時に、補修剤が流れ落ちないように押さえる。同梱されていたテープは小さすぎて補修部分をカバーできなかったので、工房で使っている強力幅広の透明粘着テープを流用した。養生時間は20時間と指定されていたが、念のため二日間そのまま放置した。

 その後、今まで通り湯を張って使い始めたのだが、テープは剥がれるまで貼ったままにせよと書いてあったので、そのようにした。およそ一ケ月経った今でも、完全には剥がれずに残っている。だからいまだに補修を終えた面に触れたことは無い。ともあれ、これで補修が成功したかどうかは、しばらく様子を見なければ分からない。

 画像は補修前後の問題の部分。たしかに色が合っているので、補修部分はほとんど目立たない。

 

 

 

 

 

ーーー7/11−−−  少女の七夕の願い


 
七夕の日のテレビのニュースで、どこかの小学校の児童たちの願い事を紹介していた。「野球選手になりたい」とか、「ケーキ屋さんになれますように」とかの、一般的な願い事に混じって、ある少女は「弟と仲良く遊べますように」と書いていた。私はこれを見て、胸を打たれた。

 弟と仲良く遊ぶことなど、自分の努力や工夫で実現できること、つまり神様にお願いするような事では無いと思う人もいるだろう。しかし、弟の心の中を、自分は知ることができないし、ましてや変えることもできない。そして自分の心ですら、自分の意のままにならない。少女は、弟と仲良く遊びたいと願いながら、時々けんかもして、寂しい思いをすることがあるのだろう。彼女にとって、いつも変わらずに弟と仲良く遊ぶということは、野球選手になるとか、ケーキ屋さんになることより重要であり、今一番神様に届けたい願い事なのである。

 弟との、幸せで安らかな関係を求めながらも、それが時として憎しみや対立に変わる。心優しい少女は、その不合理に心を痛めているのだ。そして自分の無力さ、不甲斐なさを感じ、七夕のお星さまに願いを託すのである。なんと澄み切った、素直な心であろうか。

 少女よ、あなたの願いは、きっとかなえられるだろう。弟と楽しく幸せに暮らせるに違いない。今も、この先十年、二十年、そして一生を通じて。




−−−7/18−−−  日本刀に詳しい人


 
先月のことである。会社員時代の独身寮で一緒だった先輩から連絡があり、安曇野へ観光で来る予定があるので、我が家に立ち寄りたいとのことだった。私はどうぞお越し下さい、と返事をした。ついでに、父が遺した刀を見て下さいと。

 氏は日本刀に詳しい、いわゆるマニアであり、鑑定家でもある。そのような事を、以前社内報の投稿欄で読んだことがあった。見て貰いたい刀とは、父が20年ほど前に購入したものである。備前長船(びぜんおさふね)の脇差で、当時結構な金額だった。それを、日本刀に関心も無かった父が何故購入したのかは分からない。ともあれ、素人の私が見ても、優れた工芸品であることが伝わってくるような代物ではあった。

 父が亡くなった後、年に一度は防錆油を塗布するなどの手入れをしてきた。しかし、そのような物を私などが持っていても意味が無い気がして、売り払おうかと思い、刀剣商へ問い合わせたことがある。そうしたら、購入時の半額にも満たない金額を言われて、さすがに馬鹿らしくなって、売却は諦めた。

 先輩を我が家に迎えて、しばらく四方山話を交わした後、刀を準備してある和室へ案内した。それから2時間ほど、刀剣の話題に終始したが、全く飽きず、退屈しなかった。さすがは、子供の頃から刀剣が好きで、それが高じて剣道を始めたという御仁である。話の奥行が深く、間口も広く、刀剣にさほどの関心も無い私でも、思わず引き込まれてしまったのである。

 まず、鑑定書を見て、それが旧くて現在では有効でないと切り出した。そして刀身から柄を外し、しげしげと眺めた後、「備前長船祐光に間違いないでしょう」と独自の鑑定結果を述べた。その根拠について何点か指摘したが、難しいことは憶えていない。なんでも、波紋の形とか、地金の鍛え跡とかに個性があり、それで判定できるというような話だった。

 その他、刀身が柄に入る部分に付いているハバキという部品が、若干切っ先寄りになっているのは、後世の職人が何らかの事情で修正したからだろう、と指摘した。また、刀身が全体的に研ぎ減りしていることが、波紋の流れとか、肉厚の変化とか、刀身の曲り形状から見て取れる。それがどのような理由で行われたかは知る由もないが、所有者の好みでそのように研ぎ直す事はよくあることなので、それは刀剣の価値を左右するようなことでは無い、と述べた。

 その後、拵えを見て貰った。拵えとは、刀身以外の外装部分であり、鞘、鍔、柄などを指す。刀身は別の柄を付けて、白鞘に納まっており、拵えに入っているのは、イミテーションの竹光である。鞘から抜いて現れた竹光を見て、「これは丁寧に作ってある」と、意外な感想を述べた。世の中には、刀身の半分の長さも無い、鞘と柄を接続する役割だけの竹光も多いそうである。それから各部の装飾、七宝細工などを見て、「これほど精緻な細工を施してある拵えは珍しい」と言った。購入したときの金額が、現在の相場から見ればずいぶん高額だと、刀身を見た時は感じたが、この拵えの出来ならば、それもありかなと感じる、と述べた。

 一通り観賞が終わったあと、相続した刀だから、所有者変更届を出すべきだ、と言われた。刀身を納めた白鞘に巻き付けてある登録証を見て、福島県で登録されているから、福島県教育委員会へ変更届を出せば良いとの説明だった。こういう手続きにも詳しいのである。「この刀の相続に関して、正式な記録は残していないのだが」と言うと、「そういうことは、税務署は関心があるかも知れないが、教育委員会はこの刀剣が現在誰の所有になっているかを知りたいだけだから、問題はない」と言った。後日その手続きをしたら、確かにその通りに事が運んだ。

 とにかく、刀剣全般に関して、幅広い知見を持っているので驚かされた。専門家というのは、概してそういうものだが、普段あまり馴染みが無いジャンルだと、なおさら凄く見える。そして先輩の、刀剣に対する愛情は、並大抵のものではない。自分でも何振りか所有しているが、刀身を一晩中眺めて過ごすこともあるとか。工芸品としての美しさもさることながら、その刀にまつわる歴史的背景などに思いを馳せると、時が経つのも忘れるそうである。

 これまでこれと言った関心も無かった私だが、今後地方の博物館などで刀剣の展示を見る機会があれば、ちょっと見方が変わるかも知れない、と思ったりした。




ーーー7/25−−−  何も持たない登山者


 
6月末に燕岳を登った。と言うよりは、商談で燕山荘へ上がったついでに、燕岳の山頂へも行ったというかたち。昨年の二回もそうだった。それはともかく、ゆっくりと山上の時間を楽しんだ後、13時過ぎに下山を開始した。

 15時過ぎに、登山口まであと少しという所まで降りてきた。下のほうに、中房温泉旅館の赤い屋根が、木の間越しに見えている。あと10分もすれば、下山を終えるだろう。その時、若い女性が登ってきて、すれ違った。

 その女性を見て驚いた。何も持っていないのである。ザックを背負っていない。ポシェットや、ウエストポーチも無い。両手にも何も持っていない。帽子も被っていない。さすがに靴だけは、トレッキングシューズのようなものを履いていたが。ともかく、山の中の登山道で、これほど何も持っていない人に出会ったのは初めてである。

 いったいどこまで登って行くつもりだったのか。また、何を目的に歩いていたのか、謎である。そこは樹林帯の中の急な登山道であり、展望も無く、夕方の散歩に出るような場所では無い。

 ひょっとして山小屋の従業員かと思った。しかし軽装で登るのが普通の従業員だって、水筒やタオル、雨具くらいは持参するだろう。それに、この時刻では、いささか遅い。

 すれ違いざまに目が合ったので、会釈をした。彼女も軽く頭を下げたが、にこりともせず、無表情だった。それも何だか奇異な印象だった。私は狐につままれたような気持ちで、足早に去って行く女性の後ろ姿を眺めた。